撮影が少しの間あく。だから一旦皆で食事会をしようと言ったのは、歌劇団出身のベテランの女優、長門涼歌だった。元々皆で打ち上げをしようと言っていたから、スケジュールの合う殆どの俳優が集まり、店は貸し切りになったと長門涼歌は言った。
撮影終了解散後、打ち上げに向かおうと皆が向かう中で、ハルが蓮の控室に入って来た。蓮も社も出ようとしていた所だった。
「ねえ蓮」
「うん?」
「あのさ、やっぱりオレあの子に好きだと言ったけど。返事貰う前にもっと口説いていい?」
「・・・どうしたの改まって」
蓮は持っていたバッグをテーブルに置いて、改まって言うハルをじっと見つめた。
「もっと口説くには事務所通せばいい訳?」
「事務所の判断はオレには分からないよ。そこにいる社さんに聞いてくれないかな」
蓮は社を指でさした。社は一瞬で何かを察して驚き、巻き込まれたことに気づいて「オレが何か?」という顔をした。
「でもさ、蓮、事務所に無数の所属タレントがいてさ。そのたった一人を何年も社長が直で温め続けているって実は相当なんじゃない?もちろんその期待に応えるのは彼女次第かもしれないけど・・・迷子のヒナが大人になったら、白鳥になっちゃうやつだろ」
「あの子以外にもその部には何人かいるよ」
「へえ、誰?オレ知ってるかな?」
「琴南奏江、知ってる?髪の長い子」
「ああうん。知ってる知ってる。綺麗な子だよね」
「・・・・・・」
「そっちでいいじゃないとか思ってない?」
「思ってないよ・・・」
「別にラブミー部だから好きなわけじゃなくて。佐保が好きなの」
「あの子は佐保みたいではないけどいいの」
「うん。普段のあの子も好きだよ」
「そっか」
「蓮のお許しが出たと思ってもいい?」
「オレはあの子の保護者でも何でもない。許すも許さないも・・・。決めるのはハルと事務所とあの子。でもあの子には好きなヤツいるんじゃないかな」
ハルも勿論付き合ってほしいと伝えた時に、好きな人がいて、とだけ、とても遠慮がちにキョーコに言われた。だからそれは知っている。
「そんな事言ってると、蓮の手の中のかわいくて美しい宝石、あっという間に誰かに盗まれてしまうよ?いいの?英嗣君。英嗣君の佐保なんじゃないの?英嗣の台詞だったっけ、誰かに言われるんだっけ、形作られた安寧の中に甘んじていたら芸術家は大事な事を見逃す、んだろ?」
「・・・?」
「なんてね。あの子の心の中に誰がいようとオレが盗るけど」
「もしあの子がお前を選ぶなら、事務所も許可も関係ないんじゃないかな」
「この間は随分オレの事けん制してなかったっけ」
ハルは面白そうに笑った。
「そうかな。ごめんね、仕事中だったからかもしれない。気持ちを伝えてあの子がハルを選ぶならそれで」
「蓮は?」
「何が?」
「それでいいの?」
「オレは関係ないだろ?」
「(長い間見て来て蓮が他の女の子の事でこんなにナーバスになったり嘘ついたり感情動かす姿見たこと無いもんね)・・・あの子に付き合ってと声をかけてるやつ、そういえばいたな。新しいドラマの何だっけ・・・・ああそうそう「ヨコガキ!」に出てるあの髪が金色のやつとか知ってる?」
「ヨコガキ?ごめん、分からないけど。そうなんだ?」
ハルがスマートフォンで調べて見せた。
「一つ前のタテガキ!の時に京子ちゃん彼と出ていたらしくて。それでらしい。他にも色々噂は聞くよ」
「そうなの?オレは全然聞かないから知らない」
「そっか」
ドアを叩く音がして、蓮がはい、と、言うと、キョーコがぺこり、と、深々挨拶をしながらドアを開けた。
「ハルさんに、一緒に行こうと、ここに集まるように言っていただいて。着替えに時間がかかったので遅くなって申し訳ありません」
キョーコは用意に時間が掛かった事を詫びて蓮とハルと社に頭を下げた。衣装を脱いで私服に戻り髪型やメイクを戻すのに、男性陣より多少の時間が掛かる。
キョーコが中に入ってドアを閉めると、ハルがキョーコに近づいて言った。
「京子ちゃん。やっぱり付き合ってほしい」
入って来て早々。キョーコは急な事に思考がついて行かずに目を白黒させて、目を瞬いている。
「は?え?えええ?あの」
前回、好きな人がいて、とお断りをしたはずだった。キョーコにとってはきちんと言ったつもりだったのに、お断りの意味にとって頂けなかったのだろうかと思った。しかも蓮と社にはハルとの事は言っていなかったから、何とも気まずい気持ちがする。
「蓮とマネージャーの社さんにね、今、もう一度言うと伝えていたんだ。事務所の許可が下りるかどうかはわからないけど、京子ちゃんが選ぶ事なら個人の自由だから許可出ると思うし」
ハルはすぐ横にいる蓮と社の方を指さして言った。何を伝えているのか蓮も社も分かっている。
「・・・・・・」
キョーコは目の前がグルグルする。そろりそろり、と、視線をずらすと、蓮が無表情で聞いている。社も苦笑いで聞いている。
キョーコが何も言えなくなったのを見て、ハルが先に口を開いた。
「あのさ」
「・・・はい」
「好きなヤツ、いるんだろ?」
「・・・・・」
キョーコは何も答えずにハルの顔だけ見つめた。
ハルはジャケットのポケットに手を入れて、一枚の海外の硬貨らしきものを出した。
「今からオレ、このコインを投げる。表が出たらオレと付き合う。裏が出たら、そいつに京子ちゃんは告白する。いい?」
「へ?ええ?」
何ですかその条件、と思っている間にハルはさらに重ねた。
「で、その相手にさっさとフラれて来て。そのままだと絶対言わないだろ」
「・・・あの」
キョーコが言いにくそうにしたところで、蓮が少し割って入った。
「オレたちもいるし・・・言いにくそうにしてる。出ようか?」
「ちょっと待っててね蓮。あのね、オレは京子ちゃんが今他の男を好きでも構わない。でも、君が先に進んでくれないと、オレも先に進めない。君が決着すれば、オレは君を正面から口説けるだろ。君が誰かを好きでいる事と、その相手が君を好きかどうかなんて伝えてみなければ分からないじゃないか」
「・・・・・」
キョーコは絶句して聞いていた。なんて強引な人なのだろう。自分の言い分など全然聞いていない。しかも告白などしたら今だけはうまくいってしまうかもしれない。
「じゃ、投げる」
ハルはコインを投げて床に落とした。
表が出た。
「うん。オレと付き合うだって。じゃあそうしよう」
「・・・(ええええ!!!!)・・・・」
という声が聞こえそうな程、キョーコも社も似たような反応をした。
蓮は何も言わずに行方を見守っている。
ハルさんはマジシャンだろうか、表に出る事しかないコインなのではないか、そんなこと言われてもできません・・・とキョーコは思う。何か勝手に振り回されている感じしかしなかった。
「あのさ、今、京子ちゃんの中で、本当の、心底本音が渦巻いてるだろ?それが、答えだね。心は今なんて言ってる?」
「・・・ごめんなさい、できません、と・・・」
にっこり、と、ハルが笑った。
「オレがフラれた」
ハルは両手を軽く開いてあげ、蓮に向かってそう言った。
蓮は、首を少しだけ傾けた。当然という意味か、理解できないという意味かは、頭の中がグルグルしてしまったキョーコにはよく分からなかった。
「京子ちゃん、じゃあ早く誰かに気持ち伝えて。それで早くフラれて来て。そしてオレの所に来て。そいつよりオレの方が絶対安全だから」
「・・・ハルさん・・・」
なぜこんなにフルオープンでど直球なのだろう。
ごめんなさいと言ったのに、なぜ諦めてくれないのだろう。困惑しか起こらないキョーコは殆ど無言で聞いていて、助けを求めて少しだけ社に視線を流した。
気づいた社が口を開こうとした時に、ハルが更に口を開いた。
「ねえ、なんで言わないの?うまくいきたいから言わないの?フラれるのが嫌だから言わないの?待っていたら、人生終わっちゃう。オレは英嗣じゃないからそんなに待てない。これ、本当は裏が出て欲しかったんだけどな。フラれてくれたらオレは堂々と口説けて慰められたのに。そしてオレに落ちる確率も120%に上がるだろ」
ハルは蓮をちらりと見てそう言った。
蓮の表情はいつも通り、一切感情が何も読めない顔だ。
そして、ハルは思い切りキョーコを引き寄せて、唇を割った。
「・・・・!」
んん、と、声が出る程キョーコの内側を探った。
キョーコの大きな目が驚きで見開かれた。視線は蓮の方を見た。
キョーコがなんとかハルの胸を押したけれども、力の差は歴然で、ハルは離さなかった。
「ハル」
蓮がハルの肩を押して静かに割って入った。
バランスを崩して倒れそうになったキョーコを腕の中に入れた。
瞬時にうつむき蓮の腕の中に顔を隠したキョーコを見て、蓮はその顔をごく自然に胸の中に隠した。
ハルはおかしそうに笑った。
全てがあまりに分かりやすくて。
「ごめんごめん。困っている顔があまりに可愛かったからつい。このままじゃいつできるか分からないから。ねえ早くフラれて来て。オレは待っているから」
「本当にごめんなさい、それは無理です。ハルさんのお願いでも。一生言うつもりが無いんです」
「そんなに好きでいたいの?一生言うつもりがないならそれって好きじゃないのと同じじゃない?誰に約束したの?それともそんなに自信が無いの?まさか蓮みたいにどうにもならなそうなやつとか?」
ハルに図星のようなストレートに的を当てられてしまって、キョーコは返事をせずに蓮の腕から出た。
「敦賀さん、ありがとうございます。ごめんなさい」
「大丈夫?」
「はい。女優たるもの唇の一つや二つ。急だったのでちょっとびっくりしてしまいましたけど。ハルさんも気にしないでください、私の事など」
「気になるから言ってる。君が誰を好きでも構わないんだ」
ハルはキョーコの言い分など一切聞かずにそう言って、髪に手を入れた。
互いにじっと無表情で見つめった。まるで恋人同士のように。
ここが外でなければ、キスでもしそうな空気。
蓮が横で静かに息を吐き出した。
社はずっと静かに見守っていた。
「行こう、京子ちゃん。もう始まる」
ハルはキョーコの肩を押した。
「・・・・・・」
キョーコはチラリと蓮を見た。
蓮もキョーコの様子を見てそちらへ向かう。
社は静かに蓮に声をかけた。
「蓮、オレはこれで帰るけど明日もあるから無理しないでね。お前は飲んじゃダメだよ」
「はい」
「キョーコちゃんも蓮にきちんと送ってもらってね!」
すこし遠ざかるキョーコに社は声をかけた。
「はいっ!」
遠くからキョーコが返事をした。
「・・・ねえ、なんで蓮が送るの?」
とハルはキョーコに聞いた。
「社さん私のマネージャーもして下さる時があるので時々お願いしていて」
「だって社さん帰っちゃったのに?」
「・・・・あとは、絵を一緒に描く許可を頂いていて・・・課題の絵、お互いの絵を描かねばなりませんので。どうしても仕事の時間外で描かなければなりませんので敦賀さんと描いたりします」
「そうなんだ。妬けるね」
「ハルさん?」
「蓮の家?事務所?なんで蓮はよくてオレはダメなの」
「あの?敦賀さんとはもう長年仕事してますから。マネージャーも同じでしたし、私が敦賀さんのマネージャーもしましたし」
「そうなの?蓮」
後ろで静かにしていた蓮を振り返ってハルが言った。
「そうだね」
「ふうん、ズルいな。オレの絵も描いてよ。オレのうちで」
「佐保は・・・他の人の絵は描かないので・・・」
「そっか。残念。貼り絵ならいいの?」
「・・・すみません、カップルは描きますが男性だけのも描きません」
「分かった。ごめん。無理言い過ぎた。なんかさ、佐保にフラれ続けて無理やりにでも描いてほしい気持ちが分かった。ちょうどいい」
ハルは笑って言った。キョーコも、すみません、と、言った。
そして、蓮を振り返った。
「蓮、巻き込んでごめん。行こう、長門さん絶対遅いって言ってると思う」
「そうだね」
蓮はにこやかに返事をした。
まるで何も感情が読めないなとハルは思って、笑った。
***
蓮とキョーコの席は対極ほどに離れ、キョーコは空いていた壁際に座った。
ハルは迷いなくキョーコの横に座った。
ハルは席に着いてから少し話をした。
「京子ちゃん、迷ったらいつでもコイン振ってごらんよ。イエスかノーか。言うか言わないか」
「・・・・」
「どちらが出ても、絶対に自分の本心は嘘をつかないから。京子ちゃん次第だろ。このコインで今振ってごらんよ」
「ふふ、表しか出ないコインですか?」
「これは普通の硬貨。あ、もしかして不正が出来るコインだとオレを疑ってたね?」
キョーコは何も答えずに、少し笑って飲み物に口を付けた。
2019.7.28